大学のオープン・キャンパスでは「見えないもの」にも目を凝らしましょう.

8月に入り,高校2年生の多くが「オープン・キャンパス」に出かけます.

当塾でも,関東や関西以外に,中京圏の大学,さらには北海道まで出かけている生徒がいます.ほとんどが家族同伴のため,夏休みを利用した短期の「家族旅行」を兼ねているのかもしれません.

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見学後は授業時に感想を聞きます.生徒は異口同音に「よかった」と言います.これはある意味当然です.少子化の時代,大学側としては少しでも多くの高校生に関心を持ってもらいたいと考え,入念に準備するからです.

世間のイメージはともかく,大学教員の多くは授業や研究で普段から忙しい人たちです.彼らは皆,限られた時間を使って体験授業や会場の準備をしています.少しでも手応えを感じたいと考えるのは当然でしょう.

しかし,高校生の側は,一つ注意しておくべきことがあります.当たり前ですが,体験授業は,入学後の授業をすべて忠実に再現・体現しているわけではないということです.

具体的に何か違う部分があるとすれば.それは授業ではなく授業の準備の部分,すなわち「予習・復習」です.こう言うと,高校生の中には「大学も予習・復習が必要なのか」と驚く人もいるかもしれません.

厳しい受験競争が終わり,大学生になったら,サークルやコンパなど,どうしても遊びの方に意識が向きがちです.陰鬱な高校生活に早くピリオドをうち,都会で楽しく大学生活をエンジョイしたいと考えるのは,富山のような地方の高校生にとっては素直な気持ちでしょうし,共感もできます.

参考までに私自身の例を挙げます.私は日本的な区分けで言うと,文系,具体的には「語学・政治・国際系」です.3年時以降に参加が必須となるゼミでは,毎週,最低数百ページの文献や資料(半分は英語)に目を通す必要がありました.このような週に一度の「本ゼミ」以外に学生だけで行う土曜日午後の「サブ・ゼミ」があり,終了時間は未定(平均で5,6時間),毎回,指定テキストの購読から始まり,その後はディスカッションに移行します.

毎回,議論を主導する学生が決められるので,当日までの1週間は緊張で「胃が痛い」日々を過ごすことになります.しかし,これは今では私の人生にとってかけがえのない大きな財産となっています.英語力は当然のこと,資料分析力から口頭表現力,文章作成力まで,徹底的に鍛えられたからです.

オープンキャンパスでひとつ残念に思うのは,(仕方がないことではありますが)このような「厳しさと楽しさが混在した学びの空間」が持つ,あの独特の空気感が伝わりにくいということです.わざわざ遠くから足を運んで来てくれた高校生に,大学の先生が「私のゼミは厳しいかもしれません.毎週数百ページの予習が必要です」と言うと,一体どのような反応が返ってくるのでしょうか.