英語がわからないのか,知識がないのか,or…

4月以降,ブログの更新もままならないほど忙しい日々を過ごしています.一部のOB生徒からは,「先生,お元気ですか」と生存確認に近いメールをいただくことがありますが,当人はいたって元気です.

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さて,今年は高校3年生が多く,さらには本人たちの希望もあり,今の時期から志望大学の過去問を使いながら,精読から英文和訳,和文英訳,さらにはテーマ型のライティングまで,みっちり取り組んでいます(近年,取り上げる頻度が高いのは,東京大学,一橋大学,そして大阪大学です).

先日ある生徒の授業で,大阪大学の過去問(外国語学部:2023年度)を使って英文精読の指導を行っていた時のことです.冒頭部分で “Sherlock Holmes”や”Sir Arthur Conan Doyle”といった馴染みのある名前が目に入ってきました.

その時に生徒が示した反応に,久しぶりに(普段は温和な態度を心がけています),生徒に対して(少しだけ)厳しい口調で話をすることになりました.理由は,これらの名前を適切に音読できなかったため,また彼らが誰であるのか即答できなかったためです.

その後,ほかの複数の生徒でも確認したところ,ほとんどの生徒が同じ反応を示しました.ちなみに,当塾の生徒はすべて富山市内の進学校(と言われる)高校に在籍しており,半数以上は中学時代から当塾で学んでいます.

しかし彼ら彼女らのほとんどがこれらの固有名詞を音読できず,こちらから説明を受けるまで一体だれのことなのか理解できなかったのです...

さすがの私も心が萎えました.「一体なぜこうなってしまったのか」と.

入試問題の出題者である大学教員の考えとしては,これらの人名が使われている英文を用いる意図は明らかです.すなわち「知識の差によって生じる違いを最小限に抑え,純粋に英語力・思考力で受験者の実力を測りたい」ということです.

それどころか,今回の例で言うと,出典は A Study in Scarlet(邦題:緋色の研究)であり,一度目を通したことのある受験生であれば(多くがそうだと願いたい),受験会場で一人静かにガッツポーズをしたはずです.

そのような大学側の「親心・真心」があるにもかかわらず,その恩恵に与れないとすれば,そもそも入試受験会場に向かう資格すらないと思いますが,どうでしょうか(特に「外国語学部」の受験生).

生徒の多くは学校や大手予備校の影響もあり,模擬試験の「点数や偏差値」を気にします,一方,最低限の「常識・知識」を知らないことに,驚くほど無関心です.「誰の責任か」といった瑣末な議論をするつもりはありません.一人の講師としてできることは限られており,現場で指導する人間としては,できること,すべきことを日々,淡々とこなすのみです.

幸いなことに,当塾に在籍している生徒は,日頃私から少々厳しいことを言われても,(意図的に厳しく接しているのではありません)素直に耳を傾けてくれます.また,彼らは皆「そのようなことは今まで(特に学校で)言われたことがない」と言い,改善に向けて行動に移します.要は,アドバイス一つで,いくらでも変化が期待できるということです.

参考までに,韓流好きの生徒に,The Beatlesを知っているかと聞いたところ,「名前は聞いたことがある」という返答...

どうやら,一定年齢以上の大学教員の親切心は,今の時代,お節介になりつつあるのかもしれません.