中学・高校生対象、集中講座を開講します!

中学・高校生対象、短期集中講座を開講します!
各コース共に定員4名の少人数制(または個人指導)です。

英検を受験したい、TOEIC(またはTOEIC Bridge)にチャレンジしたい、長文が苦手、自由英作文はどうすればいいの? などなど、英語に関する中高生の悩みは尽きません。

そこで当アカデミーでは、そのような悩める中学生・高校生をサポートすべく夏休み向け短期集中講座を開講することにいたしました。

英検の上位級に挑戦したい中学生・高校生も歓迎します。この機会に、普段はなかなか学べない本物の英文リーディングやライティングの手法、ボキャブラリーの増やし方を学んでみませんか。友達より一歩、二歩、三歩前に進みたいと思っている方々の参加をお待ちしています!

詳細は、Intensive Courses for Junior-High & High School Studentsのページをご確認ください。

やり直し英語は発声練習と発音矯正も一緒に

社会人の場合、仕事や海外研修などで急に英語が必要になることもあるかと思いますが、そのような場合、何から手を付けたらよいのでしょうか。

当アカデミーでも、TOEIC対策以外に、純粋に英語力をつけたいという社会人の方々を対象に授業を行っています。

カウンセリングの段階で、現在どのような学習をしているのか確認しますが、たいていの場合は、瞬間英作文などの市販テキストに取り組むケースが多いようです。おそらく、とっさに口から英語が出てくるようにしたいという意識の表れだと思います。

社会人の場合、過去に習った文法を呼び起こしたり、意識下に定着させる上でこのやり方は有効な方法だと思います。

しかし授業では、これ以外に大切な部分にも意識を向けるように指導しています。それは何かというと、ずばり「発声」です。「発音」といってもいいのですが、やはり「発声」といったほうがしっくりきます。

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日本人であれば、多かれ少なかれ、海外で自分の英語が通じないという経験があることでしょう。そのとき、どのように自己分析したか思い出してください。

真面目な人であれば、たいていは「自分ではわからないが、どこか文法的に間違っていたのだろう」と考えるケースが多いのではないでしょうか。

確かにそのようなこともあるでしょう。しかし見過ごされがちなことですが、自分が発する英語が正しい「音声」として相手に認識してもらえないケースもあるように思います。

これは、LとR、あるいはBとVの違いといったミクロなレベルでの話ではありません。そうではなく、日本語と英語、特に米国標準英語では、発声の仕方が大きく異なるということです。

教室に来る受講者には、最初に簡単な英文を音読してもらいますが、ほぼすべての人に共通している特徴があります。それは発声の際の音声の「圧力」が弱いということです。か細いと言ったらよいでしょうか。

これが例えば、米国人の場合、女性であっても、体幹から発するようなダイナミックな声や息の圧力が伝わってきます。口の前にろうそくがあったら、炎の揺れ方が違うだろうという印象です。

日本語は口先で、しかも口を大きく開けなくても、ある程度までは発話が可能です。しかし英語はそうではありません。場合によっては、お腹から、あるいは喉を絞るような発声が必要な言語です。

さらに、単語には強勢があり、一定の長さの文章になれば抑揚があります。つまり、一定の要素が全体として音声のパッケージになって初めて、英語らしい音声の枠組みに収まるということです。

授業では、必要に応じ、腹式呼吸の要領でお腹から発声する感覚を身に着けてもらうよう指導しています。英語であれ日本語であれ、言葉のベースには音声があります。しかも、それぞれの言語で心地よさの基準は異なります。

英語学習においては、フレーズの暗記以外に、可能な限り、英語なりの心地よさに意識を向けることも大切だと思います。

音読の目安

音読が英語学習で効果があることは間違いないと思います

英語は言葉です。言葉である以上、音声の学習を中心に据えることは当然です。また、今までの経験から、音声指導をちゃんと行うことで、長文などの大学受験対策でも効果が期待できると考えています。

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でも多くの人はこう思うことでしょう。
音読の効果があるのはわかるが、どれだけやればいいのか、と。

当アカデミーでは、おおむね以下のような目安を定めています(最低限ここまではやるという目安です)。

1、中学生や高校生など学校の教科書を使用する場合

教科書の本文を見ないでシャドーイングできるレベルまで

2、英検など検定試験を受験する場合

受験級のリスニング問題の本文を見ないでシャドーイングできるレベルまで

どうでしょうか。わかりやすい目安だと思いませんか。
教科書や英検などの問題集とCDを使用し、本文を見ないでシャドーイングできるようにする、たったこれだけです。

目標がシンプルなので、生徒はみな楽しくかつ真剣に取り組みます。
英語には、頭を使って習得するという以外に、体を使って体得するという側面を無視できません。

大学受験対策で来ている高校生も例外ではなく、日々の習慣として音読に取り組みます。予備校などの大人数のクラスとは異なり、授業中にCDやDVDなども使用します。

講師が一方的に説明に終始し、生徒は一言も英語をしゃべらないなどということはありません。当たり前です。一番の目的は、生徒に「英語力」をつけてもらうことなのですから。

当アカデミーでは、このような英語習得の王道を用意したいがために、基本的に1対1で授業を行っています。

リベラルアーツへの導入教育としての多読学習

当アカデミーでは、中高生を対象に、多読学習を取り入れています。
もちろん多読学習だけをやっているわけではありません。あくまでも通常の授業に加えて取り入れているということです。

使用するテキストはOxrord BookwormsなどのGraded Readersです。
読みのペースは各自に合わせて調整します。あとは分野が偏らないように幅広いジャンルから読むように指導しています。

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多読学習の向こう側には、リベラルアーツを射程として捉えています。
リベラルアーツとは、多様な価値観の下で、多元的・複眼的な思考を身に着け、人間を理解するための基礎学問のことです。

これから先少なくとも10年、さらにその先の20-30年は変化・変動の時代であり、そこで求められるのは、幅広い知識に加えて多様な他者、世界と対話する意思や能力、行動力です。

英語は、仕事や環境によっては「できたらいい」から「できて当たり前」になります(いわゆる「ぺらぺら」になるということではありません。各自にとって必要な英語ができればいいということです)。できて当たり前の環境で問われるのは言うまでもなく英語力プラス自分自身の価値観や世界観です。

最近の国際関係では、クリミア半島や捕鯨問題などがクローズアップされていますが、これらの問題には、土地の帰属や捕獲量といった目に見える対立以外に、他国の問題に介入することは妥当か否か、人間と自然との関わり合いはどうあるべきかといった「世界観」のレベルでの対立があります。

また最近では、TOEFLなどの外部試験の導入が議論されていますが、TOEFLの場合、英語力を単なる「スキル」と捉える考え方では不十分で、リベラルアーツに対する理解、基礎知識が必須となります。日本で主流なTOEICや国内の学校教科書と同じ次元で論じることはできません。

自分のキャリアを国際的な次元で捉え、留学を視野に入れている高校生は、現在の学習でほかに目を向けるべきことがないかどうか、よく考えてみることをお勧めします。

ライティングは万年筆で!

英語習得では、一定量の書き取りは欠かせません。

特に、小学校高学年から高校生の場合、早い段階で書くことに対する心理的な抵抗を払しょくする必要があると考えています。

普段授業で書き取りを指示すると、こちらから提案しない限り、生徒たちのほとんどがシャープペンシルを使用します。そこでこう言います。

「万年筆を使ってみようか?」と。

多くの生徒は「えっ?」という顔をします。
なぜなら、日本では日常的に万年筆を使う生徒はあまりいないからであり、想定外のことだからです。

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では、なぜ万年筆を使うとよいのでしょうか。

一番の理由は、それが「心地よい」と思われるからです。
決して主観だけで言っているのではありません。
現に、今でも多くの作家が万年筆を使っていることはよく知られています。

英語習得で一番大切なのは、心地よく学ぶということではないでしょうか。英語と日本語は大きく異なる言語であり、どうしても中・長期的に学ぶ必要があります。そしてそのためには、そのプロセスが苦行であってはならず、頭と体の負担を少しでも軽減するよう配慮しなければなりません。

何も言わずに生徒たちの書き取りを見ていると、必要以上に筆圧が高い子が多いように感じます。指、手首、腕、そして肩がガチガチなのです。そして、硬い下敷きを敷き、先の細いシャープペンシルを使い、ガリガリと文章を書いていきます。そしてどこかで必ずボキッと芯が折れ、字を間違えると今度は消しゴムに持ち替えてバタン・バタンと机をたたくように消しかすを掃除します。

考えすぎといわれるかもしれませんが、良質な英文と向き合った時に感じる流れるような思考が妨げられているように思えてなりません。

また、字の書き方という点で見ると、役所の文章のように小さな字をぎっしりと、あるいはきっちりと書く生徒もいます。私自身が字がきれいな方ではないせいか、「お見事!」とうなってしまうこともしばしばです。

各人の個性は尊重します。でも個人的には、ストレスを感じることなく、のびのび・すらすらと書いてほしいと思います。また、万年筆で書くことを体験した生徒の多くは、その後、めきめきと書き取りが上達します。書き取りはテストではありません。間違えたら、横線でも引いて書き直せばいいだけです。

力を抜いて体にかかる負担を減らせば、自分では気づかないかもしれませんが、頭と心に余裕が生まれ、落ち着いた気持ちで学習できるようになると思います。

子供に英語を学ばせたいと考えている親御さんは、ぜひ万年筆をプレゼントすることから始めてみてはいかがでしょうか。

“読みのむずかしさ”と向き合う

高校に入ると、教科書以外にサイド・リーダーなどのサブ・テキストが支給されます。目的は、長文読解力を鍛えると同時に、社会に対する関心を持ってもらうためです。

ふだん高校生に接していると、リーディングが好きな一部の生徒を除き、長文を苦手に感じている生徒が多いように思います。例えば、長文を見ただけで「クラクラする」とか、読むのは問題ないが、下線部の和訳を面倒に感じるとか。当たり前ですが、日本語であろうと英語であろうと「読む」という行為は学習の基本であり、避けて通るわけにはいきません。したがって、英語の読解が苦手と感じる場合、自分にとって難しく感じるのはなぜか、その理由を分析し、前向きに対応策を考えなければなりません。

いうまでもなく、英語は日本語は言葉のロジックが大きく異なります。特に、英文の論説文などは一定のルールに基づいて書かれています。したがって、パラグラフ・リーディングやアカデミック・ライティングの知識のない日本人の高校生には、ちゃんと書かれている英文であっても、いや、ちゃんと書かれている英文だからこそ、逆に難しく感じてしまうのかもしれません。

また、文法は一通り勉強したのに、今一つ書かれてあることがわからずピンとこないという人、単語やセンテンス単位では意味は分かるが、パラグラフやパッセージ全体では主旨が読み取れないという人は、読んでいる英文のレベルが自分に合っているかどうかを見定める必要があります。特に高校では、各人の興味やレベルに関係なく一律にサブ・テキストが支給され、しかもそれが定期試験の範囲に含まれるため大変に感じる生徒が多いように見受けられます。さらにそれらの問題集の中には、前後の文脈が「?」と思うような英文、出典が記載されていないか、理由もなく元の英文に変更が加えられているテキストがあったりします。

では、具体的にはどうすればよいのでしょうか。たとえば、昔読んだテキストの中に以下のような記述があります。

「…そこで与えられた英文の意味を理解するということであるが、これにはその基礎として二つの面が考えられると思う。…

一つは形式的、機械的な面であり、もう一つは内容的、思想的な面である。…」(『英文をいかに読むか』朱牟田夏雄著)

時事的・現代的なテーマが多く出題される近年の大学入試の傾向からすれば、「思想」という言葉は古いかもしれません。要は、日本語であれ英語であれ、言葉のルールを学び、それと同時に、自ら知識を深めて「中身」を充実させよ、ということです。

英文の論説文は一定のルールや方法に基づいて書かれてると述べましたが、これらのルールは授業やテキストで学ぶことができます。しかし、世の中の知識については自分で学び、身に着けるしかありません。知識というのは、空から降ってくるものではなく、自分で取りに行くものです。「待ち」の姿勢だけでは知識は自分のものになりません。ものを知らないということは、これから「知る喜び」が得られるということです。大いに楽しみましょう。

とはいっても、何から手を付けたらいいのかわからないということもあるでしょう。いろいろな考え方があると思いますが、今までの経験から、「良質な英文が使われている」やさしいテキストを使った多読を実践することを強くお勧めします。英語が上達するということは、意識的に学んだ文法などのルールが無意識のレベルに落ちていくプロセスであるともいえます。そのためには、問題を解くという作業とは別に、やさしくかつ良質な英文を大量に吸収する必要があります。

先にも述べたように、学校で支給される受験勉強用の問題集には、さまざまな制約から「良質な英文を多読する」ための条件を満たしていないものもあります。そこで、興味のある人には、Oxford BookwormsやPenguin ReadersなどのGraded Readersにぜひ目を通すことをお勧めします。これらのテキストは、Les MiserablesやAnne of Green Gablesなどの有名な文学作品以外に、Appolo 13やSaving Private Ryanなどの映画、Martin Luther KingやAudrey Hepburnなどの評伝もあり、中高生が読んでも楽しく、やさしいレベルからステップアップすることができます。Graded Readersのいいところは、自分が学んだ文法などのルールを文脈の中で体感できることであり、先に引用した「二つの面」をあまり意識せずに済むことです。そして何よりも、「自分で」知識を得たいという欲求を刺激してくれます。書店に行く機会があれば、ぜひ手に取ってみてください。

センター試験に向けて

センター試験が今週末に迫りました。受験生の皆さんは、緊張が最高度に達していることでしょう。

無理もないことです。なぜなら、日本のセンター試験は複数回の受験が可能な米国のSATなどとは異なり、まさに一発勝負だからです。緊張するなと言う方が無理な話です。

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ただ、緊張や疲労を少しでも和らげることはできるかもしれません。それは、当たり前かもしれませんが、緊張や疲労につながる学習を避けるということです。具体的には以下の点が大切だと思います。

1. 「問題を解く」作業をしない。

中学・高校の6年間(あるいはそれ以上)英語を学んだ事実を肯定的に評価しましょう。その中で、「問題を解く」作業は十分やって来ているはずです(やりすぎということもあります)。

普段からしっかりした考えを持っていれば、解法のテクニックだとか、何が試験に出るかなど、運やヤマ勘頼みで乗り切ろうとはしないはずです。今から「問題を解く」作業をしても、疲れるだけです。

2. 読みなれた良質な英文を音読し、英語の音とリズムを体内に保持しておく。

大切なのは、この6年間でどれだけ良質な言葉や文章(英語および日本語の両方)に意識的に(かつ一定以上の量をこなしながら)接し、それらを体内に蓄積してきたかです。

この点に悔いがなければ、じたばたする必要はありません。過去のセンター試験に出題されたパッセージを口慣らし程度に音読しておきましょう。

普段から言っていることですが、口や手を使ったアウトプットを軽視してはいけません。英語は「わかった」だけではだめなのです。そこから体を動かすことで、一定のコンディションを保てるということです。

このことを素直に実行してきた人は、今多少なりとも落ち着いた気持ちでいられるのではないでしょうか。自分を信じ、自信を持って試験に臨んでください。

P.S. 本日行われた第92回全国高校選手権大会で富山第一高校が優勝しました。おめでとうございます!

多筆のすすめ

最近では、日本でも英語の学習に多読が効果があることはよく知られるようになってきました。
日本国内で英語の環境にどっぷりとつかることは難しいため、限られた環境の中で良質な英語に触れるには主体的な学習が必要があり、そのための効果的な方法が多読ということだと思います。

裏を返せば、英語の上達には、とにもかくにも英語に接する時間を増やすことがやはり必要であり、文法などを「学習」しただけでは感覚的に英語を理解することが難しい場合があるということです。

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一方で、この多読を一歩先に進め、「多筆」(たくさん書くこと)まで取り組んでいる学習者は少ないのではないでしょうか。学校などの指導現場では、学習指導要綱の変更に伴い、ますますオーラルを重視するようになっています。

しかし、「読む」から「話す」に至るプロセスで、この「書く」という側面がどうも軽視されているか、曖昧になっているように思います。大学受験では推薦入試などを除き、口頭試験で英語の能力を一律に測ることは現実的に困難であるため、今後はますます英作文の比重が高まるものと予想されます(最近では自由英作文という形式もあります)。しかし、いきなり英文を書けと言われてもそう簡単にできるものではありません。高校生は3年生ともなればもう大人に近いのであり、物事を考えるときのベースは日本語です。その段階でネイティブに理解可能な英文をひねり出すのは至難の業です。

さらに、パラグラフ・リーディングやトピック・センテンスなどという専門用語を聞いても、そもそも普段からたくさん読んだり書いたりしていなければ、体感的に理解するのは難しいと思います。英語の習得にはスポーツと同じ側面があり、文法や理論を「学習」しただけではまったく不十分であり、「量」を意識することが欠かせないということだと思います。

では、「量」を意識したこの「多筆」にはどのような効果や意義があるのでしょうか。
これについては、次のエントリで書いてみたいと思います。

英語の「音」について – カタカナ英語を例に

日本語はカタカナという独特の文字群・音韻体系を持っています。
いうまでもなく、カタカナは、英語をはじめとする外来語を日本語の文字・音韻体系に組み込む上で重要な役割を果たしています。

今までも日本語は、大量の外来語を日本語に取り込んできましたが、特に近年インターネットが普及したことで、この傾向にさらに拍車がかかっています。

一方で、ふだん英語を教えていると、和製英語が今まで以上に若年層に浸透することで、英語が本来持っている「音」に対する新鮮な驚きが希薄化したり、そのことに無自覚になったりしないかと心配になることがあります。

つまり、本格的に英語を学び始める前に、完全に日本語化された大量のカタカナ英語にさらされているため、子供たちがカタカナ英語の発音が本来の正しい発音なのではないか、さらにはカタカナ英語の発音でもいいではないかと安易に妥協することにつながらないかという心配です(個人的には、若年層で洋楽を聴く割合が減ってきていることも多少影響しているのではないかと考えています)。

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例えば、”Twitter”はカタカナ表記すると「ツイッター」ですが、標準的なアメリカ英語の発音規則に照らして言えば、単語の前半部分の”Twi”は厳密にはカタカナでの表記が不可能な音です。後半部分の”tter”も同様です。

言葉の根幹に「音」がある以上、外国語学習で音の分析と習得・訓練は欠かせません。しかし現実には、特に学校や予備校などの大教室では、リスニング対策を除き、「音」に対する指導・配慮が十分になされているとは言えません。

普通の日本人が完璧な発音を習得することは難しいでしょう。また、小さな間違いを気にせずに積極的にコミュニケーションをとることはとても大切です。しかし当然ですが、聴く側であるネイティブ・スピーカーにとっても許容できる範囲があります。たとえば、”rice”と”lice”、”very”と”belly”など、非ネイティブ・スピーカーの「音」が彼らの基準から著しく逸脱していると、コミュニケーションにも支障が生じます。

個人的な経験で言えば、ネイティブ・スピーカーは日本人が一般に思っている以上に「音」に敏感であり、英語本来の「音感」を大切にしているように思えます。そしてこれは、一部の日本人がいう「ペラペラ」とは異なる基準に基づいている気がします。

以上の観点から、当アカデミーでは、高校や大学受験生であっても文法や構文解析以外に、強勢や抑揚を含め、発音・発声の訓練を細かく行います。これは、教育には訓練の要素が一定程度必要だと考えるからでもあります。英語と日本語とでは音の出し方が大きく異なるため、受講者の皆さんは授業の後でくたくたになります。

正しい音を意識すること、それらの音に近づこうと努力することは、相手の言語文化を尊重することにもつながります。学習段階で「音」に配慮することで、いずれは経験するであろう異文化間コミュニケーションをよりスムーズに行うことができるのではないかと考えます。